「思い込み」(2015年11月発行)
よく心理テストなどで使われる絵を見たことがあるかと思います。皆さん一度は経験したことのある方も多いのではないでしょうか。ある方には後ろ向きに向こうを向いた若い女性の顔にも見えますが、他の方には老婆の顔にも見えます。しかし両方を同時に見ることはできません。これがこの心理テストの面白いところでもあります。私たちは日常意外とこれと同じことを繰り返しているように思います。特に他の人に対する人物評、「あの人はこういう人だ」というような。そして一旦それが意識されると次からは「あの人がああいう態度に出たのはきっとこうだからに違いない、だってあの人はこういう人だから」ということになる。それで全て辻褄を合わせてしまう。

実はこれと同じことを私たちは子供に対してよくやってしまいます。毎日顔を合わせていると、同じ失敗を何度も繰り返す子供にたいして、どうして君はこうなんだ、何度言ったらわかるのか、と詰め寄ってしまいます。そうなると次に同じ失敗をするその子供に対して、どうせこの子はこうだからとなってしまいます。

私たち大人は子供を育てる立場にあります。またすべての子供達はあらゆる可能性を持っています。子供の時代は失敗の時代でもあります。たくさんの失敗を経験しなければならない時代であるといえます。その失敗を次につなげることがそのまま成長につながるからです。そう考えると先ほどの「どうせこの子はこうだから」と思われた子供はなかなか立ち上がるきっかけをつかむことができません。それが続くと、「どうせ自分はこんな人間なのだから・・・」となってしまいます。私たち大人に要求されるのはそんな時どうしたらこの子が同じ過ちから脱出できるのか、どんな方法をとれば成功するようになるのか、あるいはどうすれば子供自身にそこを真剣に考えさせることができるのか、まさに成長の手助けをすることです。たとえ方向性を示さなくとも、少なくとも静かに見守る、「残念だったね」と言ってやることはできるはずです。

子供たちは家で見せる顔と学校や塾などで見せる顔が違う時があります。様々な可能性を持っている分、様々な表情や態度を見せることがあります。そのさまざまな表情に加えて、今までに見せなかった表情を引き出すことが大人の役割なのかもしれません。
先に述べた心理テストの例でも明らかなように、こちらがそういうものだと思い込んでしまうと違う見方ができなくなります。おばあさんの顔を見ると若い女性の顔を見ることはできません。その意味ではそれまで見せた子供の表情は無理に否定することではなく、それはそれで認めたうえで、その他にもたくさんの表情を持っていることを常に判断の基準に入れておかないといけません。

実はこのことは一般的な物事の判断でも同じことが言えます。どんな場合でも自分の下した判断は常に「若い女性」だけを見ていないか、「老婆」しか見えていないのではないか、あるいは更にもっと違う何かに見えるのではないか、という柔軟さが要求されます。確かに固定的な見方は物事を進める上では効率的な場合もあります。しかし人を育てる場合には融通が利かない、柔軟な判断ができないということになります。まさにその判断をする大人自身が問われることになります。「子育てによって親が成長させてもらう」と言われるゆえんです。

子供と向き合う私たち塾人はもとより小学生・中学生をお持ちの子育て最中の保護者の皆さん。子供の成長を促すためにまずは「思い込まない」柔軟な対応が問われています。
少なくとも子供と向き合うとき、柔軟な大人でありたいものです。(代表 林 政夫)