(2012年4月23日発行 「第三の道」)

[第三の道」 代表 林 政夫

インド北部の険しい山間の荒れ地に数千人のチベット人が住んでいます。中国がチベットを侵略し、そこから亡命してきた人々が住んでいるダラムサラというところです。このダラムサラにチベットの亡命政府を35年前に築いたのがダライ・ラマ法王です。私がダライ・ラマ法王を知ったのは「地球交響曲」第2番という映画でした。その映画を作ったのは龍村仁という監督です。
先日龍村仁監督のお話を伺う機会がありました。龍村監督はダライ・ラマ法王の優しい微笑みにとても感動したそうです。チベット本国ではこれまで数万人の人々が殺され、今も着のみ着のままで数か月がかりでヒマラヤを超えて亡命している人が後を絶たないとのこと。そんな中深い絶望と悲しみを乗り越えてつくられた法王のその笑顔は仏のように慈愛に満ちていると感じたのです。監督はそんな法王こそが、今地球が直面している二つの価値観の対立を超える第三の道を示してくれるに違いないと考えているのです。物質文明と精神文明、西洋と東洋、科学と宗教、民族主義と国際協調など、人という種が本質的にその内部に持っているこれらの価値観をどう調和させるか。この解決の方向を示すのがダライ・ラマ法王ではないかとおっしゃるのです。
それらのお話の最後に次のようなお話をして下さいました。
ダライ・ラマ法王の映画を撮るためにインド・ダムサラに行ったときは、ちょうど二月のお正月でした。親を亡くした子供たちを集めて生活をさせている施設があります。そこでもお正月ということで子供たちにプレゼントをあげるイベントがありました。黒い大きなビニールの袋にそれぞれの子供たちの年齢に合わせたようなプレゼントをつめて渡すのです。子供たちははじめ自分の袋に入っている様々な品物に目を輝かせています。が、そのうち次第に周りの子供たちがもらったプレゼントがどんなものか気になりだすのです。小学六年生くらいの男の子が隣の小学1・2年生くらいの男の子がもらったプレゼントの袋の中に自分のほしい品物を見つけました。するとその年長の少年は自分のもらったプレゼントの中から自分がいらなそうなものを持ってその年少の男の子のところへ行きました。そして自分の持って来た品物を置いて、年少の男の子の袋から自分のほしい品物を無理やり持って行ってしまったのです。年少の男の子は大きな声を張り上げて泣き叫びました。ちょうどそこへその施設の校長をしている偉いお坊さんが通りかかったのです。さて、そのお坊さんはその場面を見てどうしたでしょう・・・?
お話を伺っていた私は一瞬考えました。きっと年長の子供のところへ行って、あなたは年上なんだから小さい子供のものをそうやって無理やりとるのはよくないことだよ。返してやったらどうかね・・・、とそんなことを言うだろうなと考えていました。(読者の皆さんはいかがですか?)
ところがそのお坊さんは違ったそうです。そう、そのお坊さんはすぐに泣いている小さい子供のところへ行ったのです。そしてその子の目線に合わせてしゃがんでしっかりその子を抱きしめました。それから自分の頬と子供の頬を擦りあわせてゴリゴリしました。子供は少しずつ泣き声が小さくなってきました。そしてそのうちにそのお坊さんは何か一言二言チベット語でその子に語りかけました。するとその子は笑い出しました。離れてその様子を見ていた年長の少年はやがて年少の少年のところへやってきて、取った品物を返したのです。それでも最終的には年長の少年は自分がほしがっていた品物を手に入れたそうです。それは小さい子供が自分からその品物を年長の少年に渡したからです。

このお話から様々なことを考えさせられます。私の場合はどうしても理を諭そうとしてしまいます。小さい子供のものを無理やりとってしまうことの理不尽を年長の子供に諭そうとするのです。でもお坊さんはそうはしませんでした。そこには目の前に大きな声で泣いている子供がいます。まずは泣いているその子に寄り添うこと、これを一番に優先したのです。その子に何かを諭すのではなく一緒にその悲しみを感じるためにしっかり抱きしめて、同じ悲しみを感じていることを伝えたのです。そうしてその子の心が少し和らいできたころに今度はその子の心が明るくなるような一言を言ったのでしょう。本来被害者であるその子は最終的には自分のものを自ら年長の子にあげるという、人に対する優しさまでも手に入れたのです。考えさせられました。

ダライ・ラマ法王はおっしゃいました。「人間の本性は慈悲と利他である」と
(代表 林 政夫)