(2011年11月18日発行 「赤ちゃんの磁石」)
「赤ちゃんの磁石」 代表 林 政夫
あなたは街で赤ちゃんと目を合わせたときにどんな反応をなさいますか。私は思わず「ニコッ」と笑ってしまいます。なぜかわからないけど「ニコッ」なのですね。今日出勤途中でお母さんに抱かれた赤ちゃんとすれ違いました。ひげ面が気になったのか通り過ぎたあとまで首を曲げてこちらを見ていました。やはり「ニコッ」なのです。どうしてそうなのか歩きながら考えました。
この相手が大人だったら決してしませんよね。女性ならきっとにらまれます。男性なら気持ち悪いといわれるのは間違いなし。どうして赤ちゃんなら「ニコッ」なのでしょうか。その時考えた結論がこうです。相手が大人ならどう思われるかを考えます。そして一般的に人が見知らぬ人に意味もなくニコッと微笑むのは忙しい現代ではおかしいと判断されます。まして1日中合う人会う人に笑顔を見せていたら顔の筋肉が引きつってしまいます。 でも、もし忙しくなかったら、相手にする人数がもっと少なかったら・・・。例えば見知らぬ土地に旅したとき向こうからやってくる地元の人がいたらきっと微笑みながら通り過ぎることがあるかもしれません。山を歩いているとき、たまに出会う人に「こんにちは」と微笑むことがありますよね。つまりこの多忙、過密、効率(速く仕上げなければという焦りなど)がなければ、人は本来思わず微笑みあう生き物なのではないでしょうか。お互いを思いやる心であり、気遣う心であり、繋がりを表す笑顔。これは人間本来誰にでも備わっているものなのでは。赤ちゃんはその人間本来誰でもが持っている思いの表れである笑顔を引き出してくれる大きな力を持っているのではないか。そして赤ちゃんはお母さんに抱かれながら街のなかを通り過ぎる人々に磁石のように触れていくのです。仕事や生活に追い回され、他の人を感じる心を忘れた大人の心の奥にある微笑む心を引き出そうとするのです。
さてここであなたに質問です。あなたは街で赤ちゃんとすれ違ったときどんな反応をしますか。①ニコッと笑う、②何となくうれしい気分になる、③何も感じない。いかがでしょうか。もしあなたが③であるとしたら、かなり疲れているか、仕事や家事に追い回されていると思って下さい。あなたが本来持っている優しさや思いやりという感性を自分で押しつぶしてしまっているのですから。これはご自分の生活を見直す良いチャンスを赤ちゃんに頂いたということですね。
ところであなたは「お布施」という言葉をご存じでしょうか。慈悲の心を持って他人に財物などを施すことを言いますね。大抵お坊さんに差し上げるお金などをいいますよね。でもお布施にはお金などを差し上げるいわゆる「財施」とは別に「無財施」といってお金を使わないお布施もあるようです。「和顔施」もその一つです。笑顔を持って人に接することが他の人に対する一つの施しとなるという意味です。それほど笑顔の力は大きいものです。以前もこの欄に書いたことがあります。
たとえば反抗期にあるお子さんに悪態をつかれて困るというあなた。お子さんのことを言う前にお子さんに笑顔を見せているでしょうかと。どんなに正しいことを言っても、相手に通じなければ意味がありません。もし相手にわかってもらいたいと思うのならば、決して怒りの顔で強圧的に言ってはならないことは自明のこと。笑顔でもって穏やかに話せば必ず相手に届くはず。笑顔になれそうにないときはたとえ内容が正しくとも次の機会にした方が良さそうです。
笑顔は人を優しくし、お互いを前進させる大きなエネルギーであるようです。人との関わりの深さが私たちの人生の味わい深さに直結しているように思えます。赤ちゃんは誰に教わることもなく生まれたときからその方向で生きています。そして、今日もお母さんに連れられながら、街行く人に「和眼施」を施しているのです。