2月中旬都内私立トップ校の合格発表の日。
階段を駆けながら上がってきたその生徒は塾のドアを開けるなり受付にいた私に「先生、インターネットを見てください」という。その学校の合格発表は3時間ほど前にインターネットで出ているはず。すでにその発表を自分で見て結果報告に来たとばかり思っていた私は一瞬とまどった。「家で見てくればよかったのに」と言おうとしたが、数日前にその子が言った言葉を思い出した。「俺、合格発表でいい結果を出して塾長喜ばせてやるから。」あっ、もしかしたらこれがそのことだったのかと思った私は急いでインターネットで高校入試の合格発表にアクセスした。二人は固唾を飲んで受験番号を探した。・・・番号はなかった。一瞬の沈黙の後「なかったね」どちらが言うともなくつぶやいた。私の中に熱いものがこみ上げてきた。なんてやつだ。自分がこの一年本当によく頑張ってきたその成果をご両親と共に確認するのではなく、一番にこの私に見せようとしてくれたなんて。なんと塾の教師冥利に尽きることか。思わず彼の手を力いっぱい握ってしまった。
幸いなことに彼はすでに第一志望校が合格していたので進路には影響はなかったが。そして今年の青藍学院の高校受験生の唯一の不合格が彼のこの不合格だった。そのほかの受験生は受験した学校全てに合格していた。全員第一志望校に合格したのである。素晴らしい連中だった。
中3になって、受験生はよくクラスで点数を競うことがある。入試問題を一斉に解いて点数を競うこともそうだが、英単語を覚える英単語大会、講習会や合宿の最終日に行う確認テスト、数学の図形問題のみを競う図形大会、そして大晦日の青藍トータルテスト(STT)などなど。そんな時どうしても成績が振るわず時には最下位になることもある生徒がいた。そんな時いつもその生徒は目にいっぱい涙を溜めては人知れずぬぐっていたのである。その生徒はしかし決して愚痴を言うこともなく翌日から黙々と勉強に励むのである。
これを中学1年の時からやってきている。みんなが休みの日曜日にも塾に来て黙って自分のやるべき勉強をこなしてきた。やってもやってもクラスの中ではなかなかみんなを抜くことは出来なかった。それでもひたすらやりぬいた。もちろん中1の時に比べたら成績は伸びてはいた。しかし自分の行きたい高校に合格するにはまだ少し不安があった。そんな中目標とする高校の入試があった。結果発表数日前の授業の合間に「どうだった?」と聞くと目にいっぱい涙を浮かべて「だめです」。あとはもう言葉にならない。「いや、大丈夫だよ。きっと受かっているよ」と言う私の声が聞こえているのかいないのか、また涙があふれてくる。ああ、この子の為にも何とか受からせてやりたい。そんな思いでいっぱいだった。「先生受かりました」という嬉しい第一声がその生徒の携帯から伝わってきた。合格発表の掲示板の傍からかけてきたのであろうその声は本当に待ちに待ったものだった。お母さんの喜びの声も伝わってきた。ありがたかった。思わず天に祈らずにはいられなかった。この子は間違いなく世の中に出てから何か事を成し遂げるに違いない。いや、何かをなさなくともみんながこの子を見習うようなそんな生き方をするに違いない、そう思っている。人にはそれぞれ得手不得手がある。たとえ自分にとって不得手な分野であっても自分が出来るだけの努力をする。その姿はみんなに感動を与えないはずはない。ごくろうさん会ではその生徒を表彰させていただいた。
中3になってから入ってきて、実に良く頑張った生徒もいた。それまで勉強らしい勉強はしてこなかったので基本的なことも取りこぼすことが多い生徒だった。しかし彼は授業がおわるとすぐに一番前の席に出てきて「先生、わからないところがあるのですが教えてください」という。特に苦手な数学ではその生徒は必ず残って質問をしていた。いつの間にかそれにつられて他の生徒も残るようになっていった。そして授業終了後1時間でも1時間半でもわかるまで残って勉強していくのが当たり前になっていった。
母親との確執に悩む生徒も何人かいた。決して誰かが悪いわけではない。家族はみんな一生懸命。自分の考え方を変えれば何とでもなることである。受験勉強をしながらこんなことを学んだ生徒もいたはずである。一人ひとりの受験生に一つひとつのドラマがある。そのドラマから私たちはたくさんの学びを頂くのである。受験生およびそのご家族に感謝です。受験生の新天地に幸あらんことを。