(2012年10月1日発行 「『良い子』育てなんて」)

「『良い子』育てなんて」

先進国といわれる国々で様々なアンケートがとられています。その中に各国の子ども達の意識調査があります。そこで「充足感」、「幸福感」、「自己肯定感」が最も少ないのが日本の子ども達です。今やっていることに自信が持てない。何をやっても上手く出来ない。他の人と比べて~が劣っている。そう思いこんでいる子ども達が増えてきているように思います。子どもらしいエネルギーを持っている子が少なくなってきています。

なぜでしょう。近頃のお母さん達の子育てを思います。まだまだ減点法で子育てをなさっている方が多いということです。一つの物差しに会わない子ども達は「うまくできない子ども」「正しくない子ども」「欠点がたくさんある子ども」にされてしまいます。大人同士でもよくあることです。誰かの過ちや欠点ばかりを指摘して、人の長所を観ようとしない方が。大人なら直接面と向かって相手の悪いところ、問題点を言うことはほとんどありません。ところがそのことをいつも指摘される子ども達は本当に自分はできない人間、ダメな人間、まともじゃない人間と思い込んでしまいます。どんどん自信がなくなっていきます。ついには自己嫌悪に陥り、全てのことに意欲を失っていきます。そして「どうせ自分なんて・・・」

「欠点があること」「出来ないことがあること」「上手に出来ないこと」がそんなにいけないことなのでしょうか。私たち人間は誰一人例外なく「苦手」や「欠点」を持っています。そして同時に「得意」や「長所」を持っています。これらはいずれも人間に必要なことだから神様から与えてくれたのです。よく「長所、短所はコインの表裏」と言われます。つまり不得意しかない人、欠点しかない人は聞いたことがありません。万が一「うちの子は長所が少なくて・・・」と悩んでいる方がおいでなら、それはそのお子さんの長所を見つけ出し、引き出していないからではないでしょうか。生徒さんの中にもご自分の欠点を気にしてなかなかご自分を解放できない方がいらっしゃいます。しかし、万人が欠点から逃れられないのであれば、大切なのはそれを上回るような長所をたくさん伸ばすことです。欠点があってもそれでもその欠点を十分にカバーするようなたくさんの長所をもつことです。

世に天才と言われた人々を育てた母親に皆共通していることは、自分の子どもが学校の先生や周りの人々にその欠点や不得意をどんな指摘されても、その子の良い点だけを見続け、信じ続けたことにあります。そのお陰で子ども達は卑屈になることなくのびのびとその長所を伸ばし、やがて大成させていったのです。「でも私はそんな親ではない」とおっしゃる方がいらっしゃるかも知れません。確かに他人の問題点や欠点はよく目につきやすいものです。その分長所を見つけるのは難しいもの。ましてや毎日欠点が目につくご自分のお子さんの長所を見つけることは日頃の思い込みが邪魔をしてなおさら難しいものです。

しかし考えてもみて下さい。神様が下さった欠点は意味がないものでしょうか。いえいえそうではありません。いやむしろ欠点こそが人を育てているとも言えます。欠点を持っているからこそその事に気づいて心から謙虚な人間になれるのです。不得意や欠点があるからこそ人の欠点も優しく見守ることができるのです。上手くできないことがあるからこそ、それを克服しようと努力し、その結果達成感や出来ることの喜びを手に入れることが出来るのです。作家の五木寛之さんがおっしゃったそうです。朝顔の花は朝の光を受けて咲くのだと思われていた。そこである植物学者が朝顔のつぼみに24時間光を当ててみた。しかし結局花は咲かなかった。朝顔の花が咲くには、朝の光が当たる前に、夜の冷気と闇に包まれる時間が不可欠なのだと。

世の中で生きていくために大切なことは一人ひとりがその個性を活かして活き活きと生きていくことです。とするといま親がしなければならない子育ては出来ないことや欠点を取り上げること(減点法)ではなく、子どもの良いところをどんどん見つけて伸ばしてやること(加点法)ではないでしょうか。その子にしかないその子の持ち味を十分に引き出してやることは親に課せられた親しかできない役割。そのために日頃から他の人の長所を見つける生き方をすること。人の良いところを懸命に探す。そんな生活をしながらご自分も成長していく。自分の成長の過程で子育てをする。子どもと一緒に自分も育つ。そんな親の子育てこそ、その人らしい子育てとなるのでは。

子どもの「充足感」、「幸福感」、「自己肯定感」、そして子どもの自尊心、個性はそんなところから生まれてくるのではないでしょうか。

(代表 林 政夫)