(2010年5月15日発行「学ぶ姿勢」)

「学ぶ姿勢」 代表 林 政夫

先日学校での授業の様子を子供たちから聞いていたら、「先生が職員室には来るけど教室には入ることができないでまた職員室に帰ってしまう。」という話を聞きました。先生に対する否定的な発言や授業に対する不満が多く見られます。そしてそのことが当たり前のこととして小学生も中学生もみんなが言い合っている現状を見ていますと、子供たちは何のために学校へ行っているのかと心配になります。

本来勉強は教える側に第一義の責任があります。勉強が楽しく、分かり易く、教えられたら子供たちはもっと勇んで学校に行くことでしょう。そこで成績が上がっていくならもっと勉強したくなって意欲も高まります。達成感、充実感が満たされもっと素直な気持ちにもなれるはずです。先生に暴言を吐くようなことは決してあり得ないことです。

ところが現実には先の話のような事態が起こっています。先生に問題あることは言うまでもないのですが、近頃では学ぶ子供たちの方にも考えなければならない問題があるように思います。それは「学ぶ姿勢」です。これは、小中高の学校を通じて養わなければならない力であると同時に大人になっても常に身につけておかなければならない力だと思うのです。つまり単に勉強に限らず、そのほかの習い事でもしかり、仕事でも人生での学びもしかりです。物事を学ぶ側にこの学ぶ力がなかったらどんなに立派な先生についても、どんなに優れた仲間に出会っても、どんなにすばらしいご縁に恵まれても、けっしてそれを気付くことなくそこから学ぶことも出来ません。

先の事例はまさにこの「学ぶ姿勢」が出来ていないことによるものです。確かに学校の先生が生徒さんに信頼されているかどうかがその前提としてありますが、それとは別に生徒さんの方もどんな状況の中でも学ぶことはあることを知るべきなのです。そして子供たちの「学ぶ姿勢」を養うためにご父母も学校の先生と協力するべきなのです。時には先生に苦言を呈し、時には子供たちに我慢をさせる。それが学校と家庭が一体となって子供を育てることだと思います。

「学ぶ姿勢」とは、具体的には「素直さ」であり、「前向きな発想」であり、「人との関わり」です。第一の「素直さ」。まずは受け入れてみる。そしてやってみる。何かのご縁で先生として迎え、生徒として学ぶ以上まずはすべて素直に受け入れてやってみること。足りないなと思う分はどうやって自分で補うかを考えればいいことです。それが学び方を学ぶことにもなります。学校の先生にどう見ても問題があるとしても、それは親が様々な場面で動けばいいことで直接子供たちが先生に言うことではありません。公然と子供たちが先生を非難していてはそこから何かを学ぶ力がつかないまま卒業してしまうことになります。

第二の「前向きな発想」。学校の先生がどうであろうともそこからどうやって自分の学びを積み上げていくか。たとえいやな先生にも良いところはある。それをどうやって見つけ出すか。これらもすべて前向きに物事をとらえないとなかなか難しいことです。逆にこの発想があれば学びにつきもののたいていの障害もそれほど苦にせず乗り越えることが出来ます。

第三の「人と関わること」。どんな大変な状況でも必ず仲間はいます。それは愚痴を言い合う仲間ではなく、どうやってうまく切り抜け、より豊かな学びが出来るかを相談できる仲間です。また仲間同士の関わりが活発になれば苦しいときでももっと楽しく学ぶことが出来るはずです。あるいはその仲間がいるおかげで自分の学びがよりエネルギッシュになっていくこともあります。もちろん人との関わりは教えてくれる人間との信頼関係を築く上で欠くことの出来ないものでもあります。

先日ある雑誌に次のような記事が載っていました。世界最高齢の三つ星シェフ、NHKの「プロフェッショナル」でも取り上げられた85歳で今も現役のすし職人小野二郎さんのお話です。「うちの店でも、ここへ修業に来ても三日と持たない子がいっぱいいます。・・・私はこの仕事が合うのとか合わないのとかっていっている若い人たちの言い分を聞くと、つい言いたくなるんです。仕事っていうのは合う合わないではなく、こっちから努力して合わせていくものだって。・・・朝が早いから嫌だとか、夜が遅いから嫌だとか、そういう人たちばっかり。これは、人間の基礎ができてないんじゃないかと思うんです。」

学びの姿勢が出来ていないと社会に出てもせっかくのチャンスを生かせないまま、いつまでたっても自分の力をつけられない。そして本来持っているはずの力を発揮できないまま終わる可能性があります。まさに人生を充実して活き活きと生きるチャンスまで失うことになってしまいます。「学ぶ姿勢」は人生を活かす力でもあります。