(2011年3月28日発行「出藍式」)

「出藍式」 代表 林 政夫

この3月13日に小6、中3受験生の卒業式を行いました。有り難いことにたくさんのお母さん、お父さんにおいで頂きました。青藍学院は荀子の「出藍の誉れ」「青は藍より出でて藍より青し」からとった名前です。その青藍学院を卒業するのですから、早く立派な鮮やかな藍色すなわち「青藍」になってほしいと思い「出藍式」と名付けました。その際卒業する生徒さんに次のようなお話をしました。

私たちは何のために生まれてきたのでしょうか。もちろん幸せになるためです。毎日の生活に笑顔がある状態です。この笑顔には達成感、充実感、満足感が含まれています。但し笑顔には二つの種類があります。一つは一時的な笑顔、もう一つはいわゆる持続可能な笑顔です。前者は自分のことだけを考えた結果の笑顔。一時は笑顔になれるもののすぐにまた不満足、欠乏感に襲われすぐに笑顔は消えてしまいます。後者は他者を考えた結果の笑顔です。他の人に喜んでいただいた充実感、達成感はいつまでも心に残ります。なぜでしょう。

ヒトは縦と横に繋がるために生きているように思います。ヒトはほかの生物と同じように一つの種としてこの地上に生き残り繁栄するために生きています。今日たくさんの種の絶滅が危惧されている中、ヒトは2度の氷河期を乗り越え、絶滅することなく今も延々とその種を繋いできました。そして今生きている私たちも25代遡れば「三々五々」といって3355万人の人々の命を受け継いできています。これが縦軸の繋がりです。もう一つは横に繋がることです。私たちは同時代に生きるヒトと繋がる中で生きる意欲やエネルギーを手に入れてきました。これはいわゆる “関わり”です。嬉しいことがあった時、周りの人々と分かち合うことによってその喜びは倍になり、悲しい時には周りの人々と分かち合うことによってその悲しみは半減します。それは神様がヒトに、周りと“繋がる”ことの大切さを身体を通して教えているように思えます。

ではその中で最も幸せな時と言うのはどういう時でしょう。それは自分の周りみんなが心の底から笑い合える時だと言えるのではないでしょうか。今回の震災でもたとえ自分に嬉しいことがあっても被災された人々の現状を見るとなかなか手放しでは喜べません。人間として同じように痛みを感じ、何かお役に立ちたいと願うものだと思います。私たちの本当の幸せはみんなが喜べること、みんなが笑顔になることにあると思います。現実問題として全ての人が同時に幸せを感じることはとても難しいことです。だとすれば私たちの幸せは一人でも多くの人々の笑顔を頂くこと。そこに自分の幸せを見つけだすことではないでしょうか。一時的な笑顔(幸せ)と持続可能な笑顔(幸せ)の違いがここにあります。繋がる生き物であるヒトの本性がここにあるように思います。
だとすれば私たちはどうやって自分の幸せをつかめばいいのでしょうか。誰かのお役に立って初めて自分の幸せが得られるとは。いわゆる利他、無私の思いで共生を目指す生き方・・・。この一つが“志に生きる”と言うことではないでしょうか。同じ未来を見つめるにしても利己、我慾のレベルで見る「夢」はどうしても一時的な笑顔で終わってしまいます。しかし「志」は違います。ここにはヒトの本来あるべき生き方に繋がります。永続可能な笑顔になれる理由がここにあるように思います。

ただ「志」と言ってもなにも広く世のため人のためと大上段に構える必要もありません。今目の前にいる誰かに喜んでもらおうとして一生懸命に生きる、これも立派な「志」です。自分の周りの友達でもいい、両親や妻や子供でもいい、誰かのお役にたつことが大切なのです。スポーツ選手などのように自分の記録、自分の成績を上げることで結果的に見る人に感動を与えるのもその一つです。

では自分が誰かのお役にたてるとしたら、どんなこと、どんな方面で力を発揮すればいいのでしょうか。一番いいのは自分が好きな事をやりながら人のお役に立つことです。もし自分の好きな事がわからなければ今携わっているあらゆることを一生けんに取り組むことです。そこに必ず自分を表現できることが見つかるはずです。もし見つからなくてもこれだけはどんなに辛くても苦に感じないこと、疲れを感じないことが出てくるはずです。自分の好きな事、苦に感じないことを通じてヒトに喜んでいただければ本当に持続可能な笑顔が得られるはずです。

出藍に当たって自分の「志」を見つけること、これが青藍学院が卒業する皆さんに望むことなのです。